2005年 三上博史主演ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ   2005年

〜 待望の再臨 〜


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〜舞台感想〜

 =PARCO劇場=  =ドラマシティ=  =ZEPP東京=
【ZEPP東京】
7月15日16:00〜
7月16日16:00〜
※ ZEPP感想だけでなくて、その後の衣装展を見せていただいた後の感想も含んでいます ※

後方扉をライトが照らす。 真っ暗な中を走る一筋の白い光。
空気が動く。 観客は総立ちとなり、拍手喝さいする人々の林の中を白いウィッグが毅然とした空気を放ちながら舞台へと進んでゆく。 ヘドウィグだ。

ZEPPのヘドウィグは手厳しい。 観客をドン!と突き放し、ぐっと引き寄せるかと思ったら、そんなことは一切せずに止めを刺すように突き倒す。 「私はヘド様」 誰も彼女に近づくことなど出来はしない。 体をびっしりと覆う思い出の数々。 それが鎧となり、彼女を守る。

公演時には衣装の細かいところまで見えなかったけれど、終了後の衣装展で衣装を間近に見ることが出来た。 ヘドウィグの身を包む鎧のような衣装は、びっちりとボタンや貨幣やお花等々で埋め尽くされていた。 その一つ一つがヘドウィグの思い出のコレクションだそうだ。

一つ一つの思い出コレクション。 その飾りの一つ一つは、それぞれが実に可愛らしかった。 コインもあった。 仕事で収入を得た時だろうか? 可愛い造花のお花もあった。 心に花が咲いたような気持ちになるとき。。よほど嬉しい時。 これは、ルーサーに出会い 思いがけず夢が叶うかも知れない、と希望に満ち溢れた時の喜びか? それとも やっと出会えたと思った、かたわれトミーとの愛の日々か。  このコレクションを見ていて、ヘドウィグはきっと明るい人なのだろうと思った。 見るだけで辛くてたまらないような飾りが一つもなかったから。

いや、そうじゃない。 辛くてたまらないことが多すぎるから、そんな事認めたくなくて、明るい方ばかり見ている。 「笑っていないと泣いちゃうから」ヘドウィグは言っていたじゃないか。 なんて悲しいコレクション。 ♪wig in a box♪でも歌っていたではないか。 辛くてたまらない時、思いっきり美しく装い、気分を変える。

ここまで来て、昨年三上さんが衣装担当の伏見さんへ出されたという注文を思い出す。 「飾れば飾るほど悲しくなる服」 あぁ〜、そうなんだ、こういう事なのかもしれない、と今更ながら思う。 華やかな服装はヘドウィグの鎧。 内なる弱さ・悲しみ・寂しさ・脆さを見せない・感じさせないための鎧。


今更ながら泣けてきた。 ZEPPのヘドウィグは、思いっきり強固な鎧に身を包んでいた。 一瞬の隙も見せず、刃の上にいるような張り詰め方で ひとり キリッと舞台に立っていた。 それだけに鎧を一つずつ外し、内なるものが見えてきたとき、もぅどうなるのかと思った。 それまでの人生が激しい物であっただけに 素の自分と向き合うということは どれほど残酷で厳しいことだろうか。 命がけだと思った。 でもヘドウィグはそれをやった。 今までの 必死になって明るい方を向いて笑っていた時よりも数倍 いや 数千倍の必死さで自分と向き合った。 そして その必死さのまま 私たち観客に伝えてくれた。 「♪ダイジョウブだから 手を取り合って 傍にいるから」

三上ヘドウィグは、必死になって伝えてくれた。 その場にいる観客だけでなく、きっとヘドウィグの思いは、劇場の外 ずっと離れた場所にもダイレクトに届いただろう。 こんなにしてまで伝えてくれている。 命がけで伝えてくれている。

ひと月過ぎた今頃になって ようやく泣けてきた(いつも反応が遅い私)。 公演期間中は、目に涙を浮かべることはあっても すぐに泣くことができなかった。 受け取ったものがあまりにも大きくて、どうしていいのか分からなくなっていた。 ついて行くのに必死だった気がする。 まったく ゆとりが無かった。 張り詰めすぎていた。 今、ようやく本当に泣けるようになった。 三上ヘドウィグにもらったものは、、、”分度器の角度” のように、その時はどれほどの大きさか判別つきにくいけれど、私の中で日々大きく成長し続けている。

この舞台に出会えてよかった。 ほんとうにありがとうございました。

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